「みんなには説明しておくから」と手を振る同僚に見送られ、朔真は教えられた住所へ向かっていた。当然気は進まないし足も重たいが、監視をつけられてしまってはサボることもできやしない。
本当にこの人は、よくも余計なことを。忌々しい気持ちで隣を歩く雅を睨みつける。いつにも増して上機嫌な顔がなんとも腹立たしくて、堪らず文句が飛び出した。
「くっそ……なんでついて行くなんて言ったんですか。あんたのせいで余計な仕事押し付けられただろ」
「だって面白そうだったんだもん。こんな機会まずないだろうし」
「そりゃ、こんな機会なんてないだろうな。そもそも取り立ては業務に含まれてねえんだから」
「それでも行くあたり、松原くんって真面目だよね」
「あんたがいるせいでサボれなくなってるだけです」
今日何度目かもわからない溜め息をついて、朔真は表札を順番に確認して回った。
本の借り主――森田が住んでいるのは、町の喧騒から離れた住宅地だった。十数年前から景色が変わらない、ごく普通の一軒家が建ち並ぶ区画だ。
「ここ……か?」
目的の名字を探して表札を見ていた朔真は、ある家の前で足を止めた。
これといった特徴もない、どこにでもある2階建ての一軒家だ。表札に書かれた名前は「森田」。住所的にもここが目的地で間違いないのだろうが――
「松原くん、どうかしたの?」
「いや、今一瞬、寒気がしたような気がして」
「もしかして体調悪かったりする? 大丈夫?」
「……体調は問題ないです。たぶん俺の気のせいだと思うんで、気にしないでください」
ゆるりと首を振って、朔真はインターフォンに手を伸ばした。あまり気は進まないが、ここまで来たからには仕事をするしかあるまい。
ピンポーン、と呼び出し音が鳴る。いっそ誰も応答しなければ「留守だった」ということにして帰れるのだが。現実はそうもいかず、さして間を空けずに『はい、どちら様ですか?』と応じる女性の声が聞こえた。
「突然すみません、天ヶ咲図書館の者です。返却期限が過ぎている本のことで来たんですが」
『……少々お待ちください』
逃げ道を塞がれ渋々用件を伝えると、さすがに直接訪問されては諦めるしかないのだろうか。とても催促の電話を無視し続けているとは思えない素直さで女性は玄関を開けた。
長く伸ばした黒髪に喪服を思わせるワンピースを着た、全身黒ずくめの女性だ。黒魔術の本を借りているという事実も含め、漂う雰囲気には妙な不気味さがある。しかし彼女は朔真と目が合うと、その見た目からは想像できない快活さで話し始めた。
「わざわざお手数おかけしてすみません。最近どうにも忙しいもので、返しにいく余裕がなくて」
「……はあ、そうですか」
「すぐに探してきますから、少しお待ちいただいて……ああ、外じゃ暑いですよね。どうぞ中へ入ってください」
「え、いや、別に大丈夫です」
「いえいえ、そう言わずに。どうせ私以外誰も住んでいませんから、遠慮しないでください」
「この様子だと、あがるまで引き下がってくれないんじゃない?」
「……はあ。もうなんでもいいから、早く帰らせてくれ」
取り立てに来るだけでも面倒なのに、まさか借り主まで面倒な人物だったとは。彼女の異様とも思える圧に押され、二人は森田家へ招かれることとなった。