「急いで探して来ますので」
森田は二人分のお茶を用意すると、そう言い残してどこかへ消えてしまった。2階の方からドタバタと物音がするため、おそらくそちらへ行ったのだろう。
半ば強引にリビングに通された朔真は、手持ち無沙汰にスマホへと視線を落とした。人様の家をジロジロ見るのも失礼だし、雅とも雑談に興じるような仲じゃない。適当に時間を潰す方法なんて、これくらいしか思いつかなかった。もっとも、そう思っているのは朔真だけだったようだが。
「それにしても、ずいぶんあっさりと受け入れてくれたね、森田さん。ずっと催促を無視していたみたいだし、てっきり追い返されるかと思ったよ」
「……それは俺も思いました。忙しくて返しに行く余裕がないなんて嘘までつきやがって、一体どんな神経してんだか」
「ああ、あれってやっぱり誤魔化してるだけなんだ?」
「たぶん。返却ボックスに本を入れる暇すらないわりには、忙しそうな感じしないんですよね。まあ、返してくれるならなんでもいいですけど」
司書としてここへ来た朔真にとって、大事なのは本が返ってくるかどうかだ。森田がどんな人物であろうと関係はない。
(……まさか失くしてないだろうな?)
話している間にも聞こえ続ける物音に一抹の不安が過る。信じ難いことに、借りた本を失くしたり破損したりする人は一定数いるのだ。催促を無視しているのだって、本を失くしてしまって返しに行けない、と捉えた方がしっくりくる。こんなことなら、念のため紛失届を用意してくるべきだったか。
そんな、口先とは裏腹なことを考えていた時だった。
――ガタン
どこかで音がした。何かが動いた音だろうか。2階で本を探す森田のものではない、もっと近くで発生した音だ。
思わず周囲を見回すと、不思議そうに首を傾げる雅と目が合った。
「松原くん、急にどうしたの?」
「今、近くで物音しませんでした?」
「物音? してないと思うけど」
その反応だけで全てを察してしまった。
朔真には聞こえて、雅には聞こえていない物音。それはつまり――
「…………え?」
視界の端に映ったものに、朔真は今度こそ固まった。
リビングと隣の部屋を隔てる襖。少しだけ空いたその隙間に、一人の女性が立っていた。長く伸ばした黒髪に喪服を思わせるワンピースを着た――森田と瓜二つの女性が。
最初は森田が戻って来たのかと思った。しかし家の構造上、襖の先に2階と繋がる階段があるとは考えづらい。そもそも2階の物音は未だ止んでおらず、戻るにしてもこんな不気味な戻り方をする意味がないだろう。
隙間からこちらを見つめる女性の正体は、たぶん幽霊だ。
朔真には、いわゆる霊感と呼ばれるものがあった。ラップ音や呻き声など、それらが発する音を認識することで姿が見えるようになる、少しばかり特殊な体質だ。先ほどの物音が朔真にしか聞こえなかったのも、幽霊の発した音だったと考えれば説明がつく。
ただ同時に疑問もある。
(どうして近寄って来ないんだ? それに、なんで森田と同じ顔をして……?)
朔真は確かに、森田そっくりの幽霊を認識した。そして幽霊の方も、朔真には自分が視えているとわかっているはず。それなのに、この幽霊はなんの反応も示さなかった。いつもなら近寄ってきたり、しつこく話しかけてきたり。あるいは襲われることだってあったのに。
普段と違うことといえば雅の存在くらいのものだが――そう思い彼の方を見て、朔真ははじめて気が付いた。
「この部屋が気になってる感じ?」
「あ、ちょ……馬鹿! 何やってんだよ!」
いつの間にか立ち上がっていた雅は、朔真の視線の先にあったもの――襖に手をかけ、それを思い切り引いていた。