魔法の呪文


「ああ、そうだ。寧々ちゃんに今日だけ使える『特別な呪文』、教えてあげようか」

 

「特別な呪文?」

 

 今日がなんの日かを思い出し、一緒にいた寧々にそう持ち掛けてみると、彼女はきょとんと首を傾げた。まだ幼い少女には「呪文」と言うよりも、「魔法の言葉」とでも言った方がよかっただろうか。その方がたぶんわかりやすいし、ちょっとファンタジーな感じがして可愛かったかもしれない。

 しかしさすがは寧々と言うべきか。好奇心の強い彼女は「それ、なぁに?」とでも言うように、こちらを見上げてきた。興味を引けたようで何よりだ。

 千歳はふわりと微笑むと、みんなには内緒だよ、と口元に人差し指を添えた。

 

「これは現世で流行っている魔法の言葉なんだけど、今日一日、『Trick or Treat』って言うとお菓子がもらえるんだよ」

 

「とり……?」

 

「トリックオアトリート。どう? 言えるかな?」

 

「とりっく、おあ、とりーと!」

 

「うん、そう。よく言えました」

 

 整えられた髪型を崩さないよう、優しく少女の頭を撫でる。褒められて嬉しかったのか、寧々はもう一度「とりっくおあとりーと!」と呪文を唱えた。

 

「呪文はもうバッチリだね」

 

「うん。もう覚えた」

 

「じゃあ、最後に一つ。呪文を使う時、気を付けなきゃいけないことを教えてあげる」

 

 確かにこれは魔法の呪文だけれど、二人がいる場所はなんでもありの冥界だ。誰も彼もが寧々に優しいとは限らない。それにもし誰かに迷惑をかけてしまったら、呪文を教えた自分まで怒られてしまう。

 少し緊張した様子でこちらを見る寧々に、千歳は優しく言い聞かせた。

 

「この呪文はね、誰にでも使っていいわけじゃないんだよ。ミカゲさんとか凛世ちゃんとか、寧々ちゃんと仲良しの人にしか効果がないんだ」

 

「お友だちにしか使っちゃダメ、ってこと?」

 

「うん、まあ、そんな感じ。友達以外には絶対使わないって約束できる?」

 

「できる!」

 

 ビシ、と手を挙げる寧々に、千歳は満足げに頷いた。彼女がどこまでを「友達」と呼ぶかはわからないが、少なくともこう言っておけば、無関係の人にまでお菓子を要求することはしないだろう。こちらとしても安心して見守ることができる。

 ……と、思ったのだが。寧々はお菓子をねだりに行く素振りを見せず、代わりにじぃっと千歳を見つめていた。

 

「えっと……どうしたの?」

 

 放っておくこともできず、寧々に視線を合わせる。すると彼女はずい、と手を差し出した。

 

「とりっくおあとりーと!」

 

「あ、俺に言うんだ!?」

 

「うん。だって千歳、寧々のお友だちだもん。お友だちになら呪文? 使っていいんでしょ?」

 

 寧々の大きな目が、期待と好奇心でキラキラと輝いている。何も間違ってないよね? と言っている。いや、確かに間違ってはいないけれども。わざわざ名指ししたミカゲや凛世ではなく、真っ先に自分に言ってくるなんて思いもしなかった。

 ポケットに仕込んでおいたお菓子を取り出しながら、千歳ははにかむような笑みを浮かべた。