飛べない鳥は自由を求め


 ――国王が城を抜け出した。

 もはや何度目かもわからないその知らせを受け、ジゼルはひとり城下町へ繰り出していた。無論、行方不明になった国王を探すためである。

 

「まったくあの人は……」

 

 盛大な溜め息をついて、賑やかな大通りを進む。彼が城を抜け出すのは今に始まったことではないが、脱走が発覚するたびに呼び出され、探しに出かけるこちらの身にもなってほしいものだ。

 人波に合わせるよう歩調を緩め、ジゼルは周囲を見回した。いつも軽い変装こそしているが、国王――ヴィンセントの存在はとにかく目立つ。こうして眺めていれば、絶対に見逃すことはないはずだ。

 

 しかし。

(この辺りにもいない、か……)

 ヴィンセントの行きそうな場所を一通り見て回ったが、彼の姿はどこにも見当たらなかった。いくら気付くのに時間差があったとはいえ、人間の足では行動範囲に限界があるというのに。彼は一体、どこまで行ってしまったのだろうか。

 頭を抱えたくなる気持ちで他の心当たりを思案する。ちょうどその時、住民のひとりがジゼルに声をかけてきた。

 

「やあ、ジゼルの兄ちゃん。また国王様を探してるのかい?」

 

「ええ、あの人また勝手に出掛けてしまわれて。どこかで見かけていませんか?」

 

「俺は見てないが、広場の方で見たって話してるやつがいたぞ。そんなに時間経ってないし、まだいるんじゃないか?」

 

「今日は広場か……ありがとうございます。見にいってみますね」

 

 住民にまでヴィンセントの脱走癖が知られているのはどうかと思うが、こうして情報が集まりやすいのはせめてもの救いか。ジゼルは軽く会釈すると、まっすぐ広場へと向かった。

 

 城下町の広場は、いつ来てもたくさんの人で賑わっている。中央の巨大な噴水の周りで談笑する人々に、各所に並ぶ様々な屋台を巡る人々。大道芸を披露する人もいれば、それらを横目に忙しなく駆け抜けていく人もいる。共通して言えるのは、皆一様に笑顔を浮かべていることだろう。

 

 そんな広場の一角。とあるカフェの屋外テーブルに、その人はいた。

 緩くウェーブのかかった長い金髪に、宝石を思わせる美しい翡翠色の瞳。服装こそ一般人に紛れ込もうという努力が窺えるが、その所作は育ちの良さを隠しきれていない。

 

「いた……! ヴィンセント様!」

 

 ジゼルが呼びかけると、その人は昔から何一つ変わらない笑顔を浮かべて振り向いた。

 

「ああ、ジゼル。今日もお疲れ様」

 

「お疲れ様、じゃありません! どうしてあなたはいつも勝手に……!」

 

「執務室って、どうにも窮屈で好きじゃないんだよね。それに、町の様子を視察するのも立派な仕事だよ」

 

「仕事だと主張するなら、せめて誰かに声をかけてください」

 

「そうは言うけどさ、声をかけても外出許可なんてそうそう出してくれないでしょ?」

 

「それは、そうですが……」

 

 ヴィンセントの言うことは最もだ。ただでさえヴィンセントの脱走に臣下たちは苦い顔をしているのに、外出許可を求めたところで到底受理されるとは思えない。何せ彼らにとって重要なのは、国王の「自由」より「安全」だ。城に閉じ込めておくのが一番確実である以上、素直に頷くことはしないだろう。

 

 案外的を射た意見に、ジゼルは何も言い返せなくなった。一方の当事者はその様子に満足したのか、どこか誇らしげな顔をしている。もしかすると「僕は何も間違ったことはしていない」とでも言いたいのかもしれない。

 ここで黙ったら負けな気がして、ジゼルはじとりとした視線をヴィンセントに向けた。

 

「……言っておきますが、だからといって無断で脱走していい理由にはなりませんからね?」

 

「ジゼルは頭が固いなぁ。君こそ『一緒に交渉しましょう』くらいのこと言えないの?」

 

「俺が一緒に行ったところで、簡単に外出許可はおりませんよ」

 

「そこをもぎ取るのが君の仕事だろう?」

 

「勝手に俺の仕事増やさないでもらえます?」

 

 ヴィンセントはいつもこうだ。昔馴染みなのをいいことに、ジゼルには好き放題言ってくる。普段は「国王」として完璧に振る舞っている分、多少は大目に見ているつもりだが、その塩梅がどうにも難しい。下手に甘やかそうものなら、余計調子に乗るのがわかりきっているからなおさらだ。

 

「とにかく! 帰りますよ、ヴィンセント様」

 

 あれこれ考える前に、ひとまず彼を連れ戻す任務を終えようと改めて声をかける。

 しかし、案の定というべきか。当の本人は不服そうに口を尖らせた。

 

「えぇ、まだ帰りたくなーい」

 

「あなたはまたそうやって……今日はどうしたら帰る気になってくれるんですか?」

 

「んー、そうだなぁ」

 

 もはやお約束となりつつある質問に、ヴィンセントはわざとらしく悩む素振りを見せた。どこか楽しそうな表情は、答えは決まっていると言っているも同然だ。

 ジゼルは小さな溜め息をついて、「早く言ってください」と視線だけで先を促した。

 

「ジゼルがお茶に付き合ってくれるなら、帰ってもいいよ」

 

「……はい?」

 

「だから、お茶に付き合って。そしたら大人しく帰ってあげる」

 

 にこりと擬音が聞こえてきそうな笑みを浮かべ、ヴィンセントは言い切った。彼の性格上、それはつまり「付き合ってくれるまで帰りたくない」ということだ。あまり甘やかしたくないと思った矢先にこの要求なのだから、本当に困った人だ。――仕方ないな、と。いつも素直に頷いてしまうジゼル自身も。

 

「30分だけですからね?」

 

「うん。ありがとう、ジゼル」

 

 僕のおすすめはねぇ、と間髪入れずにメニュー表を差し出す主に、ジゼルはこっそりと肩をすくめるのだった。