星の降る町 02


 バス停から5分ほど歩いた場所に透海天文台はあった。

 ぽつぽつと植わる木々に囲まれた、特徴的なドーム状の天井を乗せた建物だ。元々は白かったであろう外観は風雨に晒されすっかり薄汚れており、ずいぶん昔からこの土地を見守っていたことが伺える。

 

「建物だけなら見たことあったけど、中ってこんなだったんだ」

 

 ぐるりと建物の中を見回して、天音は呟いた。

 中央に巨大な天体望遠鏡が据えられただけの簡素な室内だった。いくつかの機材が置かれ、壁にも何枚か天文写真が飾られてこそいるが、それ以外に目立ったものは特にない。どうやらここは最低限の設備だけを備えた施設らしい。

 もっとも、一般的な感性でいえばそれは閑散として見えるということなのだが。

 

「……思ったより何もないね」

 

「展示室が併設されてることもあるけど、天文台って基本は研究施設だからね。案外こんなものだと思うよ」

 

「ふぅん。まあ確かに、このへんって天体観測に向いてそうではあるよね。市街地からちょっと離れてるし、空気もわりと澄んでるし」

 

「実際、肉眼でも結構見えるからね」

 

「え、ここで天体観測したの?」

 

 何気なく漏らした一言に、天音が驚いた様子で振り向いた。

 何かおかしなことでも言っていただろうか? 伊純はただ首を傾げ、素直に頷く。

 

「正確には広場の方だけど、たまに来るよ。自転車ならそこまで時間かからないし」

 

「……なんていうか、伊純って意外と行動力あるよね。いかにもインドア派です! って顔してるのに」

 

「それ、褒め言葉として受け取っていいの?」

 

「うん。俺の中では褒め言葉かな」

 

 天音は笑顔で頷くが、どうにも釈然としない。「本当に?」「本当だよ」と、子供じみたやり取りを交わしてしまう。

 そんな二人を見かねた……わけではないのだろうが、まるで図ったかのようなタイミングで天文台の職員が声をかけてきた。

 

「お二人とも、まだ望遠鏡は覗いていませんでしたよね? よろしければ覗いてみてください」

 

「いいんですか? けど、昼間でも星って見えるものなの?」

 

「明るい星なら見えるよ。あとは今の時期だと……金星とか?」

 

「ええ、よくご存じですね。ちょうど金星が見える方角を向いていますよ」

 

 どことなく嬉しそうな声音でどうぞ、と望遠鏡へ案内される。先に覗き込んだ天音が「……ああ、あれかな? なんか月みたい」と、感想を述べた。

 

「まあ、月も金星も満ち欠けする理屈は同じだからね。違いがあるとすれば、金星は大きさも変化するところかな? そもそも惑星は地球を基準に――」

 

「伊純、今はそういうのいいから」

 

「えぇ……」

 

 完全に慣れているのか、天音は涼しい顔で言葉を遮ると伊純を望遠鏡の前に押しやった。無言で覗くことを勧めてくるあたり、黙らせ方を理解しているようだ。

 望遠鏡を覗かずに帰る気など毛頭なかったとはいえ、天音の思い通りに動くのはどうにも気に入らない。しかし、だからといって覗かない選択肢もあるわけがなく。どこか釈然としない気持ちのまま、伊純は望遠鏡を覗き込み――

 

「…………え?」

 

 円形に切り取られた空を見て、言葉を失った。

 深い藍色の空に無数の星が瞬いていた。ひと際強い輝きを放つものから、それらに搔き消されてしまいそうな淡い輝きまで。市街地にある自宅からは絶対に見ることができない、まさに満天の星空と呼ぶに相応しい光景だ。

 平時なら思わず感嘆の声を漏らしていただろう。しかし今は昼間であり、こんなにも美しい星空が――夜空が見えるわけがない。

 

 一体、何がどうなっているのか。

 混乱する伊純は一度望遠鏡から顔をあげ、そして、別の異変に気が付いた。

 誰もいなくなっていた。ちらほらやって来ていた他の見学者も、天文台の職員も、一緒に来た友人も。望遠鏡を覗く数秒の間に、伊純以外の人間が天文台から消え失せたのだ。

 それだけではない。辺りは薄闇に包まれ、明かりと呼べそうなものはぽっかりと開いた天井から差し込む青白い輝きのみ。淡く照らされた天文台は、何十年も風雨に晒されたかのようにボロボロになっていた。元より薄汚れた外観ではあったが、これではただの廃墟だ。

 

「……天音くん?」

 

 先ほどまで傍にいた友人の名前を呼ぶ。がらんとした空間に声が響くだけで、応える声はない。人間だけでなく、あらゆる生き物の気配すら感じられない世界に恐怖ばかりが募っていく。

 堪らず外へ飛び出すと、青空だったはずの頭上には望遠鏡で見たのと同じ満天の星空が広がっていた。月の姿はなく、無数に散らばる小さな輝きだけが世界を青白く染めている。その光景は思わず見惚れてしまうほどに美しく、そして、どうしようもないほどに恐ろしい。

 まさか――

 伊純の脳裏に一つの可能性が過ったその時、ざり、と誰かが砂利を踏む音がした。