抜けてる君の助け方


 その日、月詠堂は暇だった。魔法を必要とする人しか辿り着けないという場所柄、元より来客は多くないのだが、その日はいつにも増して暇だった。

 原因はいたって単純、話し相手がいないからだ。普段は一人の青年が手伝いに来てくれているのだが、店内には今、店主である天音と看板猫のヤトの姿しかない。ヤトは椅子で丸まり会話を拒否しているし、手伝いの青年――社もなかなかやって来ない。仕方がないので一人黙々と来客を待ってはいるが、話し相手がいないのはやはり暇である。

 

「社くん、早く来てくれないかなぁ……」

 

 店内が無人なのをいいことに、ぽつりと呟きレジカウンターに突っ伏す。

 社は今日、何時頃に来ると言っていただろうか。予定を確認しようとスマホを開き、

「……ん?」

 天音は首を傾げた。

 

 出勤予定時刻をとっくに過ぎていたのだ。遅刻の連絡は来ていない。無断欠席をするような子ではないし、珍しく寝坊でもしたのだろう。

 一人でも困らないためこのまま寝かせておきたいところだが、彼は一応バイトの身だ。さすがに起こさねばなるまい。そう思い電話をかけてみたものの、呼び出し音が続くばかりで応答する気配はない。それだけ熟睡しているのか、それとも――

 

「ごめんヤトさん。ちょっと社くんの様子見てくるから、しばらく店番よろしくね」

 

 結局、心配の方が勝ってしまった。

 丸くなったままの黒猫に声を掛け、天音は裏口から店を抜け出した。扉が閉まる寸前、「なぁ~」と気だるげな鳴き声が聞こえたが、どうか了承の意味であって欲しい。

 

***

 

 社が住んでいるのは、住宅街に建つごく普通のアパートだ。以前、何やら大荷物を運ぶ彼を手伝って一度だけ立ち寄ったことがある。部屋は確か202号室だっただろうか。

『天海』と書かれた表札を確認し、天音はインターフォンを押した。ここに向かう間も連絡はつかなかったため、恐らく中にいるとは思うのだが。十数秒ほど待ってみても反応は返ってこなかった。

 

「社くん、いる?」

 

 ドアを叩きながら呼び掛けてみても、やはり応答はない。

 どうするべきか少しの間考えて、天音はポケットに忍ばせておいたメモ帳を取り出した。それから一枚を破り取り、ドアの隙間から室内へと滑り込ませる。

 

「緊急だから許してね。――『開けて』」

 

 天音が囁くと、ふわりと青い蝶が舞う。そして、次の瞬間。カチャリと小さな音を立て、部屋の鍵が開いた。

 いわゆる魔法の一種だ。本来ならば当然このような使い方はご法度だが、今は知り合いと連絡がつかない状況だ。もしバレても厳重注意くらいで済むだろう。

 ともあれ。天音は「お邪魔します」と部屋にあがり込み――彼を見つけた。

 

「社くん!」

 

 画材や参考書で散らかった部屋の隅。社は辛うじて空いている床の一部に座り込み、ベッドに突っ伏す姿勢で倒れていた。

 物を踏まないよう注意しながら駆け寄り、肩を揺さぶる。何度か名前を呼ぶとはちみつ色の目が開き、不思議そうに天音を見つめた。

 

「……天音さん? なんでうちに」

 

「連絡がつかないから心配になって様子見に来たんだよ! 一体何があったの?」

 

「ええと……きのうの夜はずっと作業してて…………ごはん食べ忘れた、かも?」

 

「……うん?」

 

 ごはんを食べ忘れた。ある意味では彼らしい、けれど想定外に間抜けな理由に言葉が出てこなかった。もはやどこから突っ込めばいいのかわからない。

 天音は長い長い溜め息を吐き出して、

 

「何かあったわけじゃないならいいんだけどね、ごはんはちゃんと食べよう?」

 

「一応気を付けてはいるんですけど、作業に集中するとついうっかり」

 

「いやいや、うっかりで病院送りになったら洒落にならないからね!?」

 

 へらりと笑う社に頭を抱えたくなった。今まさに空腹で倒れていたというのに、のんきが過ぎるのではなかろうか。

 

「君、誰かと一緒に暮らした方がいいんじゃない?」

 

「えー? そう言われても、同居してもいいかなって思える知り合いなんて――あ」

 

「誰か思い当たる人でもいた?」

 

「天音さんは?」

 

「え、俺?」

 

 まさか自分が指名されるとは思いもしなくて、天音はぱちぱちと目を瞬かせた。仲のいい友人を想定して言ったつもりなのだが、どうやら相当懐いてくれているらしい。関係は良好とはいえ、あくまでバイトと雇用主だと思っていただけに少し意外だ。嬉しくなって「ふふ、お誘いありがとう」と天音は微笑む。しかし、誘いに乗るかどうかは話が別だ。

 

「自分で言っておいてあれだけど、この話は元気な時に改めてしよう。社くんのことが心配なのも、誰かと暮らしてくれたら安心できるのも事実だけど、俺個人の意見でしかないからね。君に押し付けるつもりはないよ」

 

「あ、逃げた。僕、結構本気で言ってたのに」 

 

「空腹で倒れてた人の意見は信用できませーん。絶対頭回ってないでしょ」

 

「そんなことないですよ…………たぶん」

 

「ほら、自信ないじゃん」

 

「じゃあ、元気な時にもう一回誘います。そしたら真剣に考えてくれますか?」

 

「君が本気ならね」

 

 これだけ会話ができるなら社の体調に問題はないだろう。それよりも、今は何か食べさせること優先だ。幸いここは大通りに近いし、コンビニもあったと記憶している。急いで何か買ってきて、すべてはそれからだ。

 

「ひとまず何か食べようか。買ってくるからちょっと待ってて」

 

「はぁい。あ、食べるならおにぎりがいいな」

 

「君ねぇ……まあいいや」

 

 多少元気こそないものの、表面上はすっかりいつも通りの社に一つ息を吐き出して。天音は慎重な足取りで玄関へ向かった。