少女は人魚姫になれない


「あれ? いつの間に紛れ込んだんだろう」

 

 荷解き中の段ボールから出てきたものを見て、日菜は首を傾げた。

『人魚姫』の絵本である。あまり荷物が多いと後々大変になると思い、本はほとんど置いてきたはずなのだが。どうやら他の本と一緒に入れて来てしまったらしい。

 

「日菜ちゃん、その絵本持ってきたの?」

 

 近くで自分の荷解きをしていた親友が、不思議そうにこちらを見つめる。うっかりを目撃された気恥ずかしさで、日菜は「あはは……」と苦笑いを浮かべた。

 

「持ってくる予定はなかったんだけど、他の本と一緒に入れちゃったみたいで」

 

「この絵本、ちょっと小さいもんね」

 

「うん。おかげで全然気付かなかったよ」

 

 持ってきてしまったものは仕方ない。ひとまず本棚にでも入れておこうと絵本を手に取り、無意識にぱらぱらとページを捲る。昔は何度も読み返していたのに、最近はあまり開いていなかったせいもあり、なんだか懐かしい気分になってくる。そういえば――

 

(『人魚姫』をはじめて読んだ時、雫ちゃんに泣きついたんだっけ)

 

 作業に戻った親友の方をちらりと見る。

 確かあの時は、水に濡れると人魚になってしまう彼女と物語の中の人魚姫を重ねてしまい、「雫ちゃん、消えちゃやだぁ!」と大泣きしたのだ。そんなことあり得ないのに、幼い日菜は親友が泡となって消えてしまうことを――目の前からいなくなることを、何よりも恐れていた。

 

「えっと……日菜ちゃん、わたしの顔に何かついてる?」

 

 一瞬見ただけのつもりだったのに、いつの間にかじっと見つめていたようだ。恥ずかしそうに尋ねる雫に、日菜は慌てて首を振った。

 

「ち、違うの! 絵本見てたら昔のこと思い出しちゃって……!」

 

「昔のこと? ……あ、もしかして」

 

「待って、雫ちゃん覚えてるの!?」

 

「大泣きしてたことあったな、と思って……えっと、なんかごめんね?」

 

 まさか泣きついた相手に覚えられていたとは。あまりの恥ずかしさに「うぅ……」と呻き声が漏れる。できることなら今すぐ忘れて欲しい。

 そう思ったのだが。

 

「いなくならないで、って泣いてくれたのが嬉しくて。忘れられないの」

 

「……!」

 

 寂しそうな笑顔でそんなことを言われたら、忘れて欲しいなんて言えるわけがない。

 何も言えなくなった日菜は、勢いに任せて雫に真正面から抱き着いた。「雫ちゃん、だいすき!」と、ありったけの愛を込めて。