小さな宝石泥棒


 事件が起きたのは軽く列車内を見て回り、あてがわれた客室に戻って来た時だった。

「……あれ?」と小さな声をあげ、主である少女――ステラは周囲を見回した。その様子は慌てているようにも、何かに怯えているようにも見える。

 従者として彼女に仕えている青年・アルビレオは、一体何があったのかと、膝をついて少女と視線を合わせた。

 

「お嬢様、何かあったのですか?」

 

「…………ないの」

 

「え?」

 

「お母様にもらったブローチが、どこにもないの……!」

 

 今にも泣き出しそうな顔でステラが訴える。言われてみれば、彼女の胸元を飾っていた青い宝石のブローチが見当たらない。乗車した時は確かに、そこで輝いていたはずなのに。

「どうしよう……」

 ステラは肩を落とした。15の誕生日に贈られて以来、少女があのブローチを毎日身に付けるくらい大事にしていたことを、アルビレオは誰よりも知っている。それを失くしてしまったとなればショックは一際大きいだろう。

 涙を堪えるためか、きつく握られた手にそっと触れ、アルビレオはふわりと微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ、お嬢様。私たちが乗ってから、この列車は一度も停車していません。必ず車内のどこかにあるはずです」

 

「うん……うん、そうよね」

 

「ええ。まずは乗務員の方に聞いてみましょう。もしかしたら、誰かが拾って届けてくれているかもしれません」

 

 客室に案内してもらった時、隣の車両に乗務員が常駐していると言っていた。車内を探すにしても、まずは彼らに相談してみるべきだろう。

 落ち着くのを待ってから、アルビレオは小さな主に手を差し出した。

 

 片側に窓が、もう片側に客室のドアが並ぶ通路は、二人が並んで歩いても余裕があるくらい広かった。さすがは大陸随一と称される寝台列車《トロイメライ》である。

 念のためブローチを探しながら――まあ、こちら側にははじめて来たので当然見つからなかったが――突き当りにある「乗務員室」と書かれたドアをノックする。するとすぐに、制服姿の若い男が顔を出した。

 

「お客様、どうかなさいましたか?」

 

「実は落とし物をしてしまいまして。こちらに届いていませんか? 青い宝石が使われたブローチなんですが」

 

「ブローチですか? 確認してきますので、少しお待ちください」

 

 そう言って、乗務員の青年は室内に戻っていった。微かに漏れ聞こえる話し声からするに、他の乗務員にも確認を取ってくれているのだろう。

 不安げに力が込められた手を握り返し、青年が戻るのを待つ。誰か親切な人が、拾って届けてくれていればいいのだが。

 しかし、その数分後。戻ってきた青年は申し訳なさそうに首を振るのだった。

 

「申し訳ありません。仲間にも確認しましたが、誰もブローチの落し物は預かっていないそうです」

 

「そうですか……」

 

 ちらりと主人を見れば、完全に俯いてしまっていた。長い髪に隠れて表情まではわからないが、こちらまで苦しくなるような顔をしているのは想像に難くない。

 

「すみません、お手数をおかけしました。邪魔にならないよう車内を探してみるつもりですので、もしブローチが見つかったら声をかけていただけますか?」

 

「わかりました。仲間にも、余裕があったら探すのを手伝うよう言っておきます」

 

「ありがとうございます」

 

 青年に一礼し、ひとまず客室に戻ろうとステラを促す。

 ちょうどその時だ。何かを思い出したのか青年は「あっ!」と声をあげ、二人を呼び止めた。

 

「お待ちください、お客様!」

 

「え? ……ああ、すみません。やはり車内を探すのはご迷惑でしょうか」

 

「いえ、そうではなく! ブローチの在処、もしかしたらわかるかもしれません」

 

「本当!?」

 

 青年の言葉に、今までずっと黙っていたステラはぱっと顔を上げた。少女の期待に満ちた目に、青年の視線が一瞬だけ、申し訳なさそうに逸れた気がする。

「ブローチはどこにあるの?」と、今にも詰め寄りそうな少女を宥め、アルビレオは青年に続きを促した。

 

「在処がわかるかもしれない、とはどういうことですか?」

 

「ええと……実はこの列車には一匹の猫が出入りしているんですが、その猫がとんでもない悪戯猫でして。以前にもお客様の宝飾品を盗んで、騒ぎになったことがあるんです」

 

「…………まさか」

 

「ええ、たぶん、そのまさかです」

 

 困った様子で頷く青年に、思わず天を仰ぎそうになった。つまり、彼はこう言っているのだ。

 ――その猫がブローチを盗んだのかもしれない、と。

 もし本当に猫が盗んだのだとしたら、普通に探すよりも大変な作業になるのは明らかだ。その小さな身体を活かしてあちこち動き回り、隠れてしまうのは目に見えている。しかも青年の話を聞く限り、その猫は列車に出入りしているだけで住み着いているわけではない。最悪の場合、ブローチを持ったまま外へ出ていってしまう可能性だってある。そうなったら、探し出すのは絶望的だ。

 

「い、急いで探さないと……!」

 

 事態を飲み込んだらしい。ステラが焦った声で呟き、元来た通路を小走りで引き返していく。今に始まったことではないが、彼女にはもう少し自分がどういう身分なのか自覚を持って欲しいものだ。

 

「ああ、もう……!」

 

「早く追いかけてあげてください。車内捜索の件は、立ち入り禁止区画にさえ注意していただければ問題ありませんので」

 

「ありがとうございます」

 

 改めて青年に一礼し、「お嬢様、勝手に離れないでください!」と主人に呼びかける。いくら安全な旅が約束されているとはいえ、外出に不慣れな少女をはじめて乗る列車に一人放っておくわけにはいかない。

 どんどん小さくなる背中を追って、アルビレオもまた通路を引き返した。