この辺りで一番背が高い建物の屋上に立ち、穂高は眼下に広がるネオンの海を眺めていた。もうすぐ日付が変わるというのに、煌々と輝き続ける景色は、まさに眠らない町と呼ぶに相応しい。
「こっちもそろそろだと思うんだけどな」
誰にでもなく呟くと、まるでタイミングを計っていたかのように、通信機が耳障りな音を立てた。次いで『穂高、聞こえてる?』と、馴染みの声が聞こえてくる。
「うん、聞こえてる。アイツの現在地は?」
『そこから東に300メートル。ビルの屋上にいる』
「オッケー、すぐ向かう」
返事をしながら穂高は背後を振り返る。そして「だってさ、一華ちゃん」と暗闇に声をかけた。
すっと暗闇を切り裂くように現れたのは、深夜の屋上にはあまりにも不釣り合いな人物だった。長い髪を二つに結った、和服姿の少女である。その顔にはまだ幼さが残り、身長も穂高の胸あたりまでしかない。
一華と呼ばれた少女はゆっくりと穂高に歩み寄り――少し距離を置いて立ち止まった。
「一華ちゃん? 何この微妙な距離」
「……これ以上近寄りたくないのだけれど」
「え、なんで?」
心底わからない、といった顔で穂高が首を傾げる。その様子に一華の目はみるみる据わり、やがてビシリと指を突きつけた。
「そんなギリギリに立ってるからに決まってるでしょ!? 危ないじゃない!」
「そんな理由!?」
「私にとっては大事なの! もっとこっちに寄りなさいよ!」
ぎゅっと手を握りしめ、一華が叫ぶ。
よく考えてみれば、一華の言い分はもっともかもしれない。何せ穂高が立っているのは建物の屋上。しかも手すりすらない、一歩でも足を踏み外せば地面に叩きつけられてしまうようなギリギリの位置だ。当の本人はいい眺めだな、くらいの気持ちだったが、少なくとも彼女にとってはあり得ないことらしい。
本当に一歩も動かない一華に苦笑いを漏らし、穂高は安全そうな位置まで移動した。
「もしかして、一華ちゃんって高い場所苦手?」
「そ、それはどうでもいいでしょ! そんなことより、早く追いかけないと」
「そうだった! 一華ちゃん、ちょっと失礼するよ」
「え?」
一華の返事も待たず、穂高はその小さな身体をひょいと担ぎ上げた。「ひゃあ!?」と耳元で悲鳴が聞こえたが、あとで謝ればいいだろう。
「えーと……東はあっちか」
頭上の月から大体の方角を割り出し、身体ごとそちらを振り返る。そして――
「ちょっ、あんた人の話聞いて……いやああああああ!!」
穂高はできる限りの助走をつけ、ひと思いに屋上から飛び降りた。
一華渾身の悲鳴が夜中の町に響き、静寂に飲まれ消えていった。