僕が箒に乗らない理由


 この世界には魔法使いと呼ばれる人々が存在する。

 例えば手を触れずに物を自在に動かしたり、空を飛んでみたり。中には杖の一振りで満開の花を咲かせる人もいるという。とにかく、普通の人間にはできない不思議な現象を起こす人、それが魔法使いだ。

 そして、僕の幼馴染みもまた魔法使いだった。

 

「秋名さんは本当に飛ばなくていいの? すっごく眺めいいのに」

 

 文字通り僕の頭上――地上2、3メートル付近を箒で漂いながら結羽ちゃんが問うてくる。その声音は「もったいない」と訴えているが、僕は改めて首を横に振った。高い所が苦手というわけではないけれど、ちょっとした心配事があるのだ。

 

「僕はいいよ。二人で箒に乗って飛ぶのって、一人の時とは違うコツがいるんでしょ? 君に負担はかけられないよ」

 

「確かにそうだけど、やってみたら案外簡単にできるかもしれないよ? 昔はできてたし」

 

「……あれ、できてたって言うの?」

 

「で、できてたよ! 秋名さんの意地悪!」

 

 意地悪と言われても、僕の記憶ではあれは飛べていたことにはならないのだから仕方がない。あれはなんていうか――そう、高度の低いフリーフォールにでも乗ったようなものだ。上下にしか移動しないのに、空を飛んだとは言えないだろう?

 

「とにかく、僕のことは気にしなくていいから。代わりに写真でも撮って見せてよ」

 

「やっぱりもったいない気はするけど……わかった、写真だね。私にまかせて!」

 

 得意げに笑ってみせると、結羽ちゃんは器用にスマホを構えた。ひとまず乗らないことには納得してくれたらしい。ほっと息をつき、僕は写真を撮ろうと奮闘する彼女を見守ることにした。

 弁解しておくけれど、僕の心配事はこれじゃない。彼女に負担をかけたくないのは事実だし、今の彼女なら感覚で二人乗りをマスターするくらい可能だとも思っている。僕がずっと気にしているのは――

 

「ひゃ……!」

 

 小さな悲鳴をあげて結羽ちゃんが箒ごとバランスを崩す。まさに僕の危惧していた事態が起きてしまった。

 彼女は魔法のコントロールに失敗したのだ。しかも、よりにもよって箒の上で。

 

「結羽ちゃん!」

 

 慌てて彼女の落下予測地点に手を伸ばす。重力に従い落ちてくる彼女を抱き留めるよう、真っ直ぐに。

 ――だけど。僕には落下の重力が加わった女の子を抱き留めるだけの筋力も、バランス能力もなかった。

 

「…………っ」

 

「痛くない……って、秋名さん!?」

 

 そうして僕は、そのまま結羽ちゃんの下敷きになった。たかが数メートルとはいえ、彼女が地面に叩きつけられるよりはよっぽどマシだ。背中がすごく痛いけど。

 思ったよりも強かった衝撃に起き上がれずにいると、不安そうな結羽ちゃんと目が合った。

 

「ごめんなさい、秋名さん……怪我してない?」

 

「大丈夫、ちょっと背中を打っただけだから。結羽ちゃんは?」

 

「私は平気だよ」

 

「ならよかった」

 

「もう、それは私のセリフ! ……でも、秋名さんが怪我してなくてよかった」

 

 安堵の息を吐き出して、結羽ちゃんは僕の上に倒れ込んだ。首筋を撫でるふわふわの髪が少しくすぐったい。

 

「助けてくれてありがとう、秋名さん」

 

 目を細めて結羽ちゃんが笑う。釣られるように僕も笑って「どういたしまして」と返せば、優しい風が吹き抜けた。芝生と僕らの髪を攫う風は案外心地がよくて。この辺りは人気もないし、このままもう少し転がっているのも悪くないかもしれない。

 全身の力を抜いて見上げた空は、いつもより高く澄んでいるようだった。