「なんだ、吸血鬼。まだ灰になっていなかったのか」
「生憎、俺は日光に強い方でね。自分の目で見たくせに、まさか忘れたのか?」
「お前のことなんて記憶に残す価値もないからな。最初から覚えるつもりもない」
「ハッ、そんなんでよく警官が務まるな。ああ、いや、だからこそか。お前ら、エリオットに頼ってばかりの無能の集まりだもんなぁ?」
「どの口が言う。エリオットを頼っているのは貴様も変わらないだろう?」
先ほどから言い争いを続ける二人を前にして、ニーナの肩身はとにかく狭かった。バイト中でなければ――いや、雇い主さえ目の前にいなければ、今すぐにでもこの場を離れていたのに。そう考えてしまうくらいには、この部屋は居心地が悪い。だらだらと冷や汗を流しながら、ニーナは部屋の隅で縮こまった。
事の起こりはほんの十数分前。祓い屋案件があるから協力して欲しいと、ギルバートが部屋を訪れたのだ。
エリオットの友人だという彼は、以前からよくここを訪れていた。友人として顔を出す日もあれば、警官として協力を求めて来る日もあった。どちらにせよ、彼は礼儀正しく真面目そうな男性だと、ニーナはそう認識していた。……していたのだが。どうやら彼は、エリオットの相棒であるクロードが気に食わないらしい。姿を見つけた途端あからさまに顔を歪め、先ほどの刺々しい言葉を放ったのである。
一瞬で空気を凍り付かせたやり取りに、ニーナも当然固まった。しかし二人のやり取り自体は今に始まったことではないようで、エリオットは気にする素振りすら見せやしない。それどころか、普段と変わらぬ様子で紅茶を飲んでいる始末だ。誰一人として味方がいない状況に、ニーナが逃げ出したくなるのも当然だろう。
(なんとかしてください、エリオットさん……!)
とても声なんか出せないので、じっと祈るようにエリオットを見つめる。すると、その祈りが届いたのかもしれない。彼は溜め息をつくと音もなくティーカップを置き、静かにこちらを振り向いた。
「ニーナ」
「は、はい!」
「悪いけれど、お遣いを頼んでもいいかい?」
「もちろんです! なんでもお申し付けください!」
綺麗な顔も相まって、主人が天使か何かに見えてきた。
ニーナはぶんぶん首を振り、彼の元へ駆け寄った。この部屋から出られるのならば、どんな使い走りでも喜んで引き受けよう。
いつもより動きが機敏なニーナに、エリオットは一通の封筒と紙幣を差し出した。
「これを郵便局まで持って行ってくれる? 速達で出してきてほしいんだ」
「わかりました」
「それと、もう一つ。お金が余ると思うから、それでケーキでも買っておいで。君とご家族の分だけでいいよ」
「えっ?」
「あれ。居心地悪いだろう? そのお詫びとでも思って」
具体的なことは何も言わないが、「あれ」が何を指しているかは考えるまでもないだろう。完全に無視を決め込んでいたが、エリオットも気にしてはいたらしい。
本当に受け取っていいのか少しだけ悩んだ末、ニーナは大人しく頷いた。
「そういうことなら、ありがたく」
「こちらこそ、ニーナには悪いことをしたね。あいつら、顔を合わせるといつもこうなんだ」
「……あれ、収拾つくんですか?」
「今日は仕事の依頼で来たみたいだし、大丈夫だと思うよ。ギルバートはそのあたり、真面目なやつだからね」
確かにそうかもしれないが、そういう問題でもないような。首を傾げたくなるのを堪えつつ、未だに何か言い合っている二人の方をちらりと見る。エリオットが言うのだから大丈夫だと思いたいが、彼らが大人しく会話している姿をまったく想像できない。第一、仮に本題――依頼の話に入ったとしても、彼らが同じ空間にいる限り、この空気感は変わらない気がする。
お遣いに出て、そのまま自宅へ直帰したい。それが無理なら、せめてギルバートが帰るまで部屋に戻りたくない。そう思わずにはいられないニーナの心を読むように、「ああ、そうだ」とエリオットが続ける。
「仕事はほとんど終わっているから、帰りはゆっくりで構わないよ。好きなだけ悩んでおいで」
「……! ありがとうございます、行ってきます!」
もしかすると、主人は幽霊屋敷に住む神様だったのかもしれない。
ニーナはありったけの感謝を伝えると、大急ぎで部屋を飛び出した。