きみへの愛は届かない


 自宅から勤務先――美潮第二高校へ向かう道には野良猫の溜まり場がある。いつも必ずいるわけではないけれど、遭遇率はそれなりに高い。実際、今日は3匹の猫が集まっていた。

「今日こそいけるはず……」

 誰にでもなく呟いて、俺は近くの猫に手を伸ばした。途端、すっかり聞き慣れた威嚇する声が響き、手に鋭い痛みが走る。

 どうやら今日も俺の負けらしい。

 

 

 

「いい加減諦めたらいいのに」

 

 救急箱を取り出したその人は、盛大な溜め息とともに呆れしか感じられない視線を俺に向けた。

 場所は変わって、美潮第二高校の保健室。あのあと俺は、朝一で清潔感のあるこの部屋に飛び込んでいた。無論、猫に引っ掻かれた傷を手当てしてもらうためだ。

 ひとまず傷口を洗い流し、長椅子に腰かけた俺はぼろぼろにされた手を差し出す。

 

「今朝はヤトさんに触らなかったし、平気だと思ったんだけどなぁ」

 

「同じこと言いながら保健室に来るの、これで何回目だっけ?」

 

「ちょっ……痛い! 痛いって万里さん!」

 

 傷口に容赦なく染みていく消毒液に思わず悲鳴が漏れる。俺の手を取る手つきは優しいのに、手当ての方は優しさの欠片もなかった。けれども俺がよく来るせいか手際だけは本当によくて、保健医である万里さんはあっという間に手当てを終えてしまった。

 

「まったく……かすり傷で済んでるからいいものの、猫の引っ掻き傷を甘く見るなって何回も言ってるよね?」

 

「あはは……頭ではわかってるんだけど、猫を見かけるとつい近寄りたくなっちゃうんだよね」

 

「つい、で痛い目見ても知らないからね」

 

 本日二度目の溜め息をつき、万里さんは救急箱を片付けに立ち上がる。そこでふと思い出したように「そういえば」と、俺の方を振り向いた。

 

「ずっと気になってたんだけどさ」

 

「うん?」

 

「野良猫って近寄ると逃げていくイメージが強いんだけど、なんで天音くんはそんな引っ掻かれるの? ヤトくんが原因だとしても、普通そこまで嫌われる?」

 

「そんなの俺の方が聞きたいよ」

 

 今度は俺が溜め息をつく番だった。

 うちには「ヤト」という名前の黒猫がいる。彼はうちの家系に仕える使い魔と呼ばれる存在だが、人の姿に化けたり喋ったりする以外は普通の猫とほとんど変わらない。……変わらないと、思うんだけど。野良猫たちは本能でその正体を感じ取っているのか、やたらヤトさんのことを警戒していた。本人が近くを通れば当然のようにその場から散っていくし、ヤトさんに触った俺が近付くとなぜか威嚇される。それこそ今朝のように。

 

「なんでヤトさんは避けられるだけなのに、俺には攻撃してるくのかなぁ」

 

「舐められてるんじゃない? それかヤトくんの下僕か何かと思われてるとか」

 

「これでも一応飼い主なんだけど!?」

 

「いや、僕に主張されても。ていうか、一応って言ってる時点で駄目だと思う」

 

「うっ……」

 

 ド正論に返す言葉がない。でも事実、ヤトさんは俺のことを飼い主だとは思っていないのだから仕方がない。一応「仕える相手」として認識はしているようだけど、基本的に自分の方が偉いと思っているタイプなのだ。

 

「まあ、なんにしても。不用意に近付くのはほどほどにしておきなよ。病院には行きたくないでしょ?」

 

「ど、努力はします……」

 

 約束できる自信がなくて万里さんから視線を逸らすと、今日で一番大きな溜め息が聞こえた。