三が日が明け、人手が足りないから手伝え。と仕事に駆り出された帰り道。吹き抜ける寒風に眉根を寄せ、松原朔真は隣を歩く男へ恨めしげな視線を向けた。
せっかく昼休憩で開放されたというのに、どうしてそのまま出掛けなければならないのだ。しかも、待ち伏せしていた隣人と一緒に!
朔真から向けられる無言の抗議など気にもせず、問題の隣人――九十九雅は「今日は一段と寒いねぇ」とぼやいた。正直あまり寒がっているようには見えないが、どうでもいいので「冬なんだから当然だろ」とだけ返しておいた。
「朔真くん、やっぱり怒ってる?」
「怒ってる、というより呆れてます。なんでまた待ち伏せしてんだよ」
「いやぁ、急に初詣行きたくなっちゃって」
「だったら他の知り合い誘えばいいだろ。それか一人で行け」
「嫌だよ、一人で行くの寂しいじゃない。それに『このあと初詣行かない?』なんて連絡できる知り合い、近場にはいないよ」
「だからって、なんで待ち伏せ……」
「アパートから神社に行くより近いから? なんだかんだ言って朔真くんなら付き合ってくれると思ってたし、それなら迎えに行った方が早いでしょ?」
けろりと笑う雅に頭が痛くなってきた。
確かに朔真はあまり誘いを断らない。今日だって、結果的に雅に付き合っている。けれどそれは待ち伏せされた挙句、一緒に行こう? と有無を言わせず腕を掴まれたからだ。それがなくても朔真の性格なら頷いていたとは思うが、断りづらい状況を作っておいて言う台詞ではないだろう。
これ以上抗議する気にもなれず、朔真は溜め息をついた。もう行くことは決定しているのだから、素直に頭を切り替えるべきだ。
「それで、どこの神社まで行くんですか? 場所によっては先に昼飯食いたいんですけど」
「駅前の裏通りにある神社だよ。そんなに遠くないと思うけど、先にお昼食べちゃう? 僕もまだなんだよね」
「あー……それなら、混み具合見てから決めます? あそこなら少し歩けば飲食店あるだろうし」
「それもそうだね。で、帰りは夕飯の買い物していこう。今日はねぇ……変わり種のお鍋とかどう? あ、煮込みうどんもいいな」
「温かいものが食べたいことだけはわかりました」
こんな状況でも堂々とリクエストしてくるあたり、本当に遠慮がない人だと思う。まあ、手料理を気に入ってくれていること自体は嬉しいし、「なんでもいい」と言われるよりよっぽどマシではあるのだが。
どの店が開いているのか確認しつつ、二人並んで目的の神社へと向かう。大通りは初売り目当ての客でそれなりに混雑していたが、裏通りへ入ってしまうと人の姿はまばらだった。三が日が過ぎているせいか、そもそも他の神社へ流れているのか、参拝客はそこまで多くなさそうだ。
「これなら先に初詣で平気そうかな?」
「ですね」
町中では目立つ真っ赤な鳥居をくぐり、二人も他の参拝客に続く。想像通り境内の人影はそこまで多くなく、列に並んで10分も経たずに参拝の順番が回ってきた。
(そういえば、ここで参拝するのはじめてだな)
近くを通ることはあっても立ち入ったことがなかった神社の拝殿は、思いのほか大きく立派だった。すぐ隣のスペースにはおみくじの出張販売所ができており、わざわざ初詣向けに環境を整えたらしい。
「雅さん、先どうぞ」
「そう? じゃあ、お先に。作法覚えてるかちょっと怪しいけど」
「俺もですね」
「もしかして、わざと僕先にいかせてたりする?」
「……否定はしません。まあ、それがなくても言い出しっぺは先にいかせるべきかなと」
「朔真くんって、案外ちゃっかりしてるところあるよね」
「あんたには言われたくありません」
早くしないと後ろ待ってるぞ。と雅を押しやり、朔真もまた彼に倣うよう賽銭を入れた。正直、作法についてはおぼろげな記憶しかなかったが、雅や他の参拝客を観察していたおかげで事なきを得た……と思う。とにかく、参拝は済んだのだから初詣は無事終了だ。
「そういえば、おみくじはどうする? せっかくだし運試しに引いてみる?」
「それもそうですね。こんな機会でもなければ引くことないですし」
「言われてみると、僕もあんまり引いた覚えないかも。ふふ、ちょっと楽しみだな」
鳥居へ向かおうとしていた足を止め、二人はおみくじの販売所へ引き返した。ぽつぽつ集まっている人の間から覗き見るに、ここのおみくじは箱に入っているものを自分で選ぶ形のようだ。
指定の場所に初穂料を収め、箱の中から直感で1枚を選び取る。邪魔にならないよう端に避けてから、朔真はそれを開いた。
小吉だった。
説明書きによるとおみくじは全7種類らしいので、ちょうど中間の運勢である。各項目にもざっと目を通してみるが、事故に気を付けろという助言が引っかかるくらいで、特別目を引くようなことは書かれていない。可もなければ不可もない、無難で平凡な内容――平穏を好む朔真にとっては、ある意味最高の結果だ。
「朔真くんはどうだった?」
こちらも結果を確認したのだろう。雅が尋ねてくる。
「小吉ですね。事故に気を付けろ、だって。そっちは?」
「なんと大吉! 幸先いいよね」
「大吉って、やっぱいい感じのことばっか書かれてるんですか?」
「基本的にはそうみたいだよ。僕たちよく一緒にいるし、足して割ったら朔真くんの運勢も中吉くらいになるのかな?」
「いや、運勢は足して割るもんじゃないだろ」
「それはそうだけどさ。事故には遭わなそうじゃない?」
「そうですか? 雅さんって事故呼び寄せそう……というか、自分から近付いていきそうなんですけど」
「いやいや、さすがの僕もそこまで軽率じゃないよ」
なんだろう、この説得力のなさは。思わずじとりとした視線を向けるが、雅には涼しい顔で受け流されてしまった。まあ、最初からこうなる気はしていたが。
いよいよ呆れの感情を滲ませ始めた朔真に、しかし雅は気にすることなく話し続ける。
「ところで、朔真くんは何お願いしたの?」
「平穏な生活が送れますように」
「なんか視線が痛い気がするんだけど。え、僕のこと責めてる?」
「そりゃ責めたくもなりますよ。あんたのせいで死体は目撃するし、心霊現象には巻き込まれるし。俺はそういうのに関わりたくないんです」
「死体は僕も御免だけど、朔真くんだけ心霊現象に巻き込まれてるのはずるくない?」
「俺の話聞いてました?」
やっぱり雅は悪趣味だし、何よりどうしてこんなにも鈍感なのだろう。もはや心霊現象が雅を避けているとしか思えない。
朔真は頭を抱え、盛大な溜め息をついた。そうして、無理やり話題を元に戻す。
「……はあ。で、雅さんは何お願いしたんですか?」
「ああ、僕? 僕はね――」
一度言葉を切ると、雅はじっと朔真の顔を覗き込んだ。夏の空を思わせる青い瞳と視線が絡み合い、離せなくなる。やっぱり綺麗だな、なんて。ぼんやり思ってしまった朔真に、雅はふわりと微笑んだ。
「今の生活が続きますように。君が思ってるより、僕はこの生活が好きなんだよ」
「…………そう、ですか」
まっすぐ伝えられた言葉に、なんだか急に恥ずかしさがこみあげてくる。堪らず朔真が目を逸らすと、小さな笑い声が聞こえた。
俺も案外気に入ってますなんて、口が裂けても言ってやるものか。
密かに心に決めた朔真は、「初詣は済んだんですから、さっさと昼飯行きましょう」と歩き出した。すぐ隣に並んだ雅の顔は、まだ見られそうになかった。