ある昼時の小さな幸せ


 ちりん、と涼しげな音を立てて店のドアが閉まる。「ありがとうございましたー」と、店内に残っていた最後の客を見送ると、要は一枚のドアプレートを差し出した。

 

「お客さんいなくなったし、今のうちに昼休憩にしようか。休憩中の札、出しておいてくれる?」

 

「はーい」

 

 高良はそれを受け取ると、ドアにぶら下がる「営業中」のプレートと取り換えた。

 少し前から手伝っているこの店――青い鳥は、天ヶ咲市内で経営されている小さな喫茶店だ。大通りからはやや外れた道に建っており、店内は一日を通して穏やかな時間が流れている。ここで働いている人や常連も優しい人が多いため、高良にとっては非常に居心地のいい場所である。

 取り換えたプレートを手に戻って来ると、「そういえば」と要が高良の方を振り向いた。

 

「高良って、食べられないものとかアレルギーとかある?」

 

「え? 特にないですけど……急にどうしたんですか?」

 

「そういえば聞いてなかったなと思って。昼飯作るのに、食べられないものを出すわけにはいかないからね」

 

「お昼作ってくれるんですか?」

 

「1日手伝ってもらうんだから当然でしょ。元々みんなの分用意してるから、一人分増えたところで大した手間でもないしね。余計なお世話だった?」

 

「そんなことないです!」

 

 高良は慌てて首を振った。誰かに料理を作ってもらうことに馴染みがなかっただけで、迷惑だなんてとんでもない。

 

「誰かに料理作ってもらうのって久しぶりだから、嬉しくて」

 

 素直にそう伝えれば、要は一瞬の間をおいてふわりと微笑んだ。

 

「――そっか。すぐ作るから待ってて」

 

「うん。何か手伝えることってあります?」

 

「そうだな……こっちは大丈夫だから、少し早いけど八尋さんたち呼んできてもらえる?」

 

「わかりました」

 

 持ったままだったプレートをカウンターの隅に置き、高良は店の奥にある階段へ足を向けた。背後からはさっそく昼食作りを始めたらしい、まな板を叩く軽快な音が聞こえている。

 要は一体、何を作ってくれるのだろう?

 久しぶりの手料理に、高良の足取りはいつになく軽くなっていた。

 

 

 

「おいしい……」

 

 できあがったばかりのナポリタンを口にすると、自然と声が漏れた。時々ふと食べたくなってコンビニで買うことはあったが、やはりと言うべきか味が違う。聞いていた通り、要は相当料理が上手いらしい。もっとも、「誰かが料理を作ってくれた」という事実自体が味覚に影響を与えている可能性は大いにあるが。

 

「そうでしょ、そうでしょ? 要ちゃんが作る料理はどれも美味しいからね」

 

 すっかり上機嫌な高良の隣で、うんうんと八尋が頷く。ちらりと視線を向ければ、どういうわけか八尋はとても誇らしげな顔をしていた。その表情はどこからどう見ても、嬉しくてたまらないといった様子だ。

 

「なんで八尋さんが嬉しそうに言うんですか」

 

 思わずツッコミを入れてしまった。要が笑ってくれるのならともかく、関係ない八尋が笑う意味がわからない。

 怪訝な顔をする高良に、八尋は当然でしょ? とでも言うように答えた。

 

「だって、好きな人が褒められたら嬉しいじゃない」

 

「はあ。そういうものなんですか?」

 

「そういうものだよ」

 

 ふふ、と八尋が微笑む。その向こうでは、要が呆れたような顔でこちらを見つめている。声にこそ出さないが、「またこの人は……」とでも思っているのだろう。

 でも、なんとなく。その表情は満更でもないと訴えているような気もして。

(なんかいいなぁ、こういうの)

 ささやかな幸せを噛みしめながら、高良は次の一口に手を伸ばした。